アルバム制作音源入力終了

今回の6曲アルバムへの音源素材の入力がとうとう終了しました。
残り1ヶ月ぐらいで、各曲のバランスの調整などのトラックダウンを経て
完成になりそうです。

いつもは暗くなるまでかかる作業が早めに終わって
終了の声と同時に何気にメンバー同士で思わず拍手してしましました

結局、雑談をして19時ぐらいで解散になりましたが開放感とこれからの話で
楽しい一時でした。

曲が完成するまではトラックダウン担当のボーカルはさらに厳しい作業が
待ち受けていますが、ガンバッテ欲しいものです。

ちなみに販売価格千円ぽっきりとなっているので

私をご存知の皆さんは、5月以降に合ったときは
よろしくお願いします。

路傍の石 汎神論者

昔まだ祖母が家にいる頃、祖母から「道端の石にも神様がいる」と聞かされ
日々仏壇に向かってお経を唱え、晩年には新興宗教的なものを信仰していた
ことをふと思い出した。

読書を面白いと思い初めて、読書が辛いものではなくなったのが、たしか阿刀田
高の「ギリシャ神話」の話だったような気がする
その後、中国の神話、日本の神話ときてローマ史関係、日本史関係との流れに至る

学校教育ではタブーなのでしょうが、成人してからの処世術にマルチまがい商法
の勧誘への対処、高利貸しの考え方、そして宗教の勧誘の対応などがあると思います。

宗教の勧誘に対してはなぜか自分は無神論者だといつの頃かかたくなに思い込んで
いたようでその都度そう説明していたような気がします。

しかし、このたび遅ればせながら”汎神論”という単語を体得することができたので
自分は汎神論者であるという認識の立場で世の中を理解出来そうです。
文字にすると”無神”と”汎神”は対局にあるように思われそうですが、考え方
ひとつで府に落ちるのは、人生の一刻をそのような祖母と関わったのが原因かも
しれません。

晩年に信仰に目覚めたのも祖母も、ただ単に最後の最後にいい神様を見つけただけかも
しれません。

ギリシャやローマに思いを馳せたり、近所の路傍の石や自然物、地名、歴史にも
思いを馳せたりで、自分に対する自分へのプロフィールの一部を掛け替える
だけで精神が自由になった気がして、心地のいい春です

自転車シーズン開始

っていってもまだ乗っていませんが。

積雪地以外のサイクリスト達は、ただ単に暖かくなってきただけかもしれませんが

札幌に関して言えば、スパイクを履かないで乗れる季節がやってきた、もしくは

単に乗れる季節がやってきたという時期であります。

基本的にローラー台に乗らない自分としては、シーズンインな訳です。

RSS登録している札幌のサイクリストのブログを見てると

これでもかってっくらいに、初乗り&Photoで飾られてました。

12月から3月までの4ヶ月間を待ちに待った思いで、サドルに跨るのは

さぞ格別な思いでしょう。

そんな、天気のいい日曜日に自分はと言えば、バンドのレコーディングで

この日が終われば、アルバム6曲中、1曲を残すのみとなります。


5月中には完成予定なので今から楽しみにしています。

8ミリ

唯一親が撮っていて残っているの8mmを友人にDVDにしてもらった。

最初の方は幼稚園の時の頃
真ん中あたりは、七五三
後半は、父方の母の田舎で岩手県の方面の畑にある墓参りのもの



一般の人が使えるメディアの変遷によって、記録の仕方は変わるんでしょうが

写真、8mm、カセットテープ、VHS、デジカメ、WEB

写真以外は再生装置がなければ見ることができなくなってしまうので
これからは意外とWEBが長期間再生可能なメディアになっていくのかもしれませんね。

となれば、孫(うまく続けば自分の末裔)が自分のブログや足跡をWEBで検索して
「馬鹿なじいさんだな」とほくそ笑むことになるかも

近所散歩

もう4月になるというのに、結構降っちゃいました
京都の桜がうらやましい


近所のお社
たぶん日本人が、あたらしい土地に住んで
人並みの生活ができるようになって余裕が
できたら、その土地に神社を必要とするんでしょう


なにせ、日本の神社の御神体はなんであってもいいはず
でしたから、地域性が出る所も頷けます。

ここのはたしか結構スタンダードな御神体なはず。


娘と息子連れて歩きましたが、なにやらこの辺に
お化け屋敷が二軒あるようです。



このへんでしょうか?定点観測地点

カメラって難しいですね。
うまくとれません







エスペラント語

お客さんの亡くなった旦那さんがお医者さんで、
写真見せてもらったんですが、とても格好の良い方でその中の写真の説明で
旦那さんは千歳でエスペラント語のサークルをやっていたというんです。

エスペラント語ってたしかなにかの本で世界共通語めざして作ったっていう記憶があったので
ただ、本当にそのような人がいた事に驚いてしまいました。

英語もまったく分からない自分には想像もできませんが、全世界で第二言語を統一しようと
いうことを発想し共感して実行している人達がいるのは、興味深いです。

犬との精神的戦い

三上さんの(id:elmikamino)この辺の近所の散策風景を見てると、なんか自分の中の昔の
風景が断片的に不意に思いおこされるなぁと思っていたら。
どうやらそれは小学校当時の下校時の心象風景だということに突き当たった。

小学校は札幌でも中心部の幌西小学校だったので、自然や風景というより物の見方に
あるのではないかと思う。

小学生のあのまったりした下校時に、かたっぱしから木の実を口に入れたり(ひどいのもある)、家と家の間の細い隙間を通って行ったり(怒られる)...

中学生以上になると人間関係その他諸事が多くなってくるのか、(まあそれが大人にな
るって事か)自然とその行動を起こす目線がなくなってくるような気がします。

分かってもらえるかどうか疑問ですが、小学生当時はよく下校途中に鎖につながって
いる犬とかに、あえて名づけると「精神的な戦い」を挑んでいました。
かなりスピリチュアルです。勝ち負けの判定もこちらの気持ちと向こうの表情と
オーラで総合判定します。その日によってその犬が不遜に見えたり卑屈に見えるときもあったような気がします。

言いたい事はこれだけですが、読んで消化不良の方もいるかと思います。、
が、書いてる方はすっきりしましたので書きました。


そんな遠い昔の感覚を大脳皮質もしくは海馬より発掘してくれる

三上のブログ

絶賛散歩中です。


三上さんごめんなさい