路傍の石 汎神論者

昔まだ祖母が家にいる頃、祖母から「道端の石にも神様がいる」と聞かされ
日々仏壇に向かってお経を唱え、晩年には新興宗教的なものを信仰していた
ことをふと思い出した。

読書を面白いと思い初めて、読書が辛いものではなくなったのが、たしか阿刀田
高の「ギリシャ神話」の話だったような気がする
その後、中国の神話、日本の神話ときてローマ史関係、日本史関係との流れに至る

学校教育ではタブーなのでしょうが、成人してからの処世術にマルチまがい商法
の勧誘への対処、高利貸しの考え方、そして宗教の勧誘の対応などがあると思います。

宗教の勧誘に対してはなぜか自分は無神論者だといつの頃かかたくなに思い込んで
いたようでその都度そう説明していたような気がします。

しかし、このたび遅ればせながら”汎神論”という単語を体得することができたので
自分は汎神論者であるという認識の立場で世の中を理解出来そうです。
文字にすると”無神”と”汎神”は対局にあるように思われそうですが、考え方
ひとつで府に落ちるのは、人生の一刻をそのような祖母と関わったのが原因かも
しれません。

晩年に信仰に目覚めたのも祖母も、ただ単に最後の最後にいい神様を見つけただけかも
しれません。

ギリシャやローマに思いを馳せたり、近所の路傍の石や自然物、地名、歴史にも
思いを馳せたりで、自分に対する自分へのプロフィールの一部を掛け替える
だけで精神が自由になった気がして、心地のいい春です